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2008-07-28(Mon)

ルーキーズにはまっています。

普段 テレビは殆ど見ない。
子どもが見ている お笑い番組を横から見ることはあるが、どっかりいすに座ってみる事はない。時間もないしね。

ところが 今回はルーキーズにはまってしまった。
聞くと周りの友人 みんな はまっている。

何がいいって ストーリーもいいし 配役もいい。
先生の熱血さといい、生徒たちのひたむきさといい 今の学校には欠けているものばかり?
自分の高校時代もおもいだされた。

私は岩手の盛岡出身。
盛岡第三高等学校という高校。
昔から進学校だったが 今ではさらにトップレベルの学校になったらしい。

文化祭 体育祭は かなり盛り上がった。
みんな一生懸命で 熱かった!!
いじめなど見当たらず どんな子でもスターになった。

私の高校時代は 至ってまじめで 優等生ではなかったが 友達は多かったと思う。
今でも連絡をとる友人もいるが 青春時代を一緒にすごした友人はいいものです。

ところで ルーキーズの中でも 私は1番アニヤ君が好き。
「あったりめえよ!!」というせりふなど ぐっときます。
あの」悪っぽいところが 良いです。

名前をど忘れしちゃったけど キャプテンの子 ホームランを打ててよかった!
涙が出ちゃいました。

毎週楽しみにしていたのに 終わっちゃって残念。
続編が あるといいな~
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2008-07-22(Tue)

誕生日のやり直し

長男の誕生日は すっきりしなかった。
三兄弟の肉の取り合いで ケンかに終わった。

昨日家族5人そろったので 外食しがてら 誕生日のやり直しをした。

おいしい料理を食べて みんなで お祝いをした。

考えてみれば なんと 幸せな事だろう。

家族5人元気で こうしておいしいものを食べ 語り合いながら お祝いをしている・
みんなが健康でいる事に 感謝 である。

長男に一言だけ言う事にした。

世の中にはお祝いをしてもらえない人もいる。
ケーキを買えないおうちもある。
お母さんとお父さんだって いつ死ぬかもしれない。
でもせめて 君が成人するまでは 毎年お祝いしてあげたい。 
今の君は とても幸せなんだよ!!

そのうち 誕生日は友達や彼女とお祝いするでしょ?
まあ 彼女ができれば の話ですが。

15歳のお誕生日 おめでとう。 大好きな息子へ。
2008-07-19(Sat)

15歳の誕生日

昔の事ばかりでなく 最近の出来事を書く。

先日 長男の15歳の誕生日だった。
父親は出張で不在だったが ケーキを作り ちょっと奮発したお肉でとんかつを作った。
やっぱり誕生日は当日にお祝いしてやりたいと思った。
自慢ではないが ケーキはちゃんと自分で作る。

さあ はじめようというとき 事件は起こった。

とんかつの肉の大きさをめぐって 3兄弟のバトルとなった。

長男は誕生日なのだから 一番大きいのを選んだ。

二男は 肉に目がないので 次に大きいのを狙った。

三男もできれば大きいのを食べたい。

うちの三人には譲り合いの心がない。

二男など皿をつかんで放さない。

長男が 成績がいい順で 選べることにしよう などと言い出した。
そしたら 二男には権利がないし プライド ずたずたである。

お母さんのを1個あげるからといっても 納得しない。

あまりにもまとまらないので 私が じゃあじゃんけんにすれば といったら
長男は 俺の誕生日なのに?! と怒り ゴミ箱を蹴飛ばし
もういらない!! といって 二階に上がってしまった。

台無しになってしまった。

みんなの気持ちがわかったが 3人が自分勝手なのが 腹が立った。

15歳もまだまだ子どもなのだという事もわかった。

私は少しくらい大きさが違っても 分け合いながら 揚げたてのとんかつを食べて欲しかった。l

ケーキだって一生懸命作ったのに。
ろうそくを立てて みんなで歌を歌ってあげたかった。

どっと疲れた誕生日。
これも笑い話になるんでしょうね。


21
2008-07-14(Mon)

大人でも友達が欲しい

子どもって 知らない子でも 直ぐに仲良くなって友達になる。
昔 子どものころ自分もそうだった。

そして当時30歳の自分。

見知らぬ土地で1歳の子育てをがんばっていた私は おしゃべりができる友達が心から欲しいと思った。
正直言ってさびしくてつまらなかった。

友達をつくろうと いろんなところへ出かけた。

0からの人間関係。

自己紹介から始まり 電話番号を聞いたり、お茶にお誘いしたりした。

その成果 徐々にお友達ができていった。
類は友を呼ぶのか 同じように 友達を求めている人が 近くにも遠くにもいた。

住めば都。

不便さにもなれ、飯能の生活に慣れていった。

2歳違いの二男が誕生した。
まだ長男に手がかかり てんてこ舞いの私に友人が手を貸してくれた。

長男の友達関係で つき合いが広がった。
二男の友達もできた。

子育て時代のつながりは強い。
母親業の悩みは同士しかわからない。
子どもが泣いた、ぐずったと、ハタから見たらくだらない悩みだが、
母親にとっては 毎日が戦争。
友達に話しを聞いてもらったり、ご飯を一緒にたべたり、時にはお泊りをしたりと
絆は どんどん強まっていった。

私は 地域で 子育てサークルを始めることを考えた。
縁あって 素敵な先生とも出会い、有志で集まった。
自分のさびしかった何年間を振り返り、同じように友達をもとめている人はいるだろう。
やっとここまで人脈ができた自分。そしてこの先も楽しくありたいという思い。

立ち上げは少々の苦労はあった。
興味がない人も多い。最初は数人だけのサークル。
チラシを配ったり、ポスターを貼ったり。
口コミで人はどんどん増え、50人近い大きなサークルになっていった。

今 うちでがんばってくれているスタッフ3人はそのときの仲間。
1から立ち上げたサークル作りは 数年後のお店作りを 予感したようなもでした。

続く

2008-07-03(Thu)

飯能という土地

前回の続き。

新婚時代は 主人の実家がある東京都清瀬市というところに住んでいた。

子供ができ アパートが手狭になったと感じたころ 義父から 飯能に家を建てたらどうか?という提案があった。

父は 箪笥1個で上京し、こつこつと財産を築いた人だと聞いていた。
清瀬に家も持ち、さらに蓄えたお金で飯能というところに土地を購入したらしい。

もともと 自然が好きな父は、山と川と自然に恵まれたこの土地をすごく気に入ったらしい。
土地は主人と共有名義だった。

そして 自然な成り行きで 私たちは飯能に家を建てることになった。

私は住むまでよくわからなかった。
飯能でも 原市場というところは すごく奥で、確かに自然には恵まれているが とても不便だろいうことを。
買い物も、病院も、銀行も、すべて車がなければ何もできない。

ペーパードライバーだった私は 泣きそうになりながら 運転の練習をした。
10ヶ月の息子を隣に乗せながら。

遊ぶ友達もいなかった。
主人は毎晩帰りが遅い。

近所の方はとてもいいかたで 時々お茶に呼んでくださったが 早々毎日行くわけにも行かない。
暇があると ベビーカーを押して散歩に出たが 殆ど人に会わない。
赤ちゃん連れなど めったにいない。

家にいると 息子はぐずり 私はノイローゼになるかと思った。

結婚前は 都内のアパレルメーカーで働いていた私。華やかで活気ある毎日だった。
今は飯能という土地。 そのギャップで 私はおかしくなりそうだった。

川のせせらぎが聞こえる こんなに素晴らしいところはない。
でも そのときの私には せつない 土地だった。

続きます。
プロフィール

リサイクルルームフォレスト

Author:リサイクルルームフォレスト
リサイクルルーム フォレスト オーナーの林です。リサイクルショップを経営しています。明るく清潔な店内、お洒落で高品質な品揃えがモットーです。

HPから通販も行っています。是非ご覧下さい。

 http://www.roomforest.com/

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