盛岡の父が仙台に入院する事になった。
すい臓がんは二回目なので、前かかった専門医にお願いするらしい。
入院の前日 父の顔を見ようと盛岡に向かった。
お店のこともあり 当日まで日帰りを考えていたが、主人が泊まった方がいいと強く押してくれた。
でもお店を休むわけにはいかないから スタッフに相談したところ、自分の用事を変更し お店に入ってくれた。
「お父さんんのそばにいてあげてください。」というメールに 涙が出そうになった。
帰ると言ったら、父はそんな必要はないと言い張った。私に迷惑をかけまいとする父の気持ちがわかった。
だから私は 何も言わないで新幹線に乗った。
盛岡の駅のホームに下りてから、 「今盛岡に来たよ」と実家に電話をし 両親をびっくりさせた。
「ただいま」と玄関を開けると 実家のにおいがする。懐かしいにおい、
台所に、父と母がいつもどおり 座ってた。
「やーやーやー」と父は申し訳なさそうにテレ笑いしていた。
母もにこにこしていた。
三人で今回のガンの事や入院の事を話しあった。
一時は余命1年という医師の言葉に肩を落としたが、それでも毎日ウォーキングと体操、サプリメントをのむ事はやめなかった。希望を捨てていなかった。
別の医師の勧めで 手術を決心した。
可能性はある。すい臓をゼンテキしてもちゃんと生きている人はいる。 と。
それに比べたら25ミリのがん細胞など 何でもないと 思いたかった。
仙台に行く当日の朝、父とウォーキングをした。
「私も行くよ」といったら 「そうか」とうれしそうだ。
毎日1時間以上歩く父。雨の日でも、
我が父ながら 偉いなあと思った。
時折 この池で昔スケートをしたね とか この店つぶれちゃったんだアとか
たわいもない話しをしながら 懐かしい道を歩いた。
まだ雪が残っている岩手山がきれいだった。
次の日母と私と父と 仙台の病院に向かった。
盛岡駅の待合室で、母が「カオリが独身のころは こうしてよく一緒に旅行したね。
金沢とか、九州とか、北海道も」 と言う。
ああ そうだった と 20年前を思い出した。
東京で就職し 少し余裕も出てきたころ 何も親孝行していないのを申し訳ないと思い 年に1.2回旅に連れ出した。そういえば暫く一緒に旅をしていない。
待合室でちょこんと背中を丸くして座っている二人を遠めで見ながら
また一緒に旅行にいきたいなあと思った。
仙台から家にもどると 家の中はめちゃくちゃだった。
洗濯物もあふれていた。
泊まりでいってこいと背中を押してくれた主人だが ふたを開けるとその夜は飲みにいったらしく、
お父さんは朝ごはんも作ってくれなかった と 三男が怒っていた。
でも 盛岡から仙への小旅行?に行かせてくれた主人に感謝した。
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