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2012-02-24(Fri)

2ヶ月

12月13日、父が他界し、2ヶ月が過ぎた。
ああ、まだ2ヶ月しかたっていないのかと、遠い過去の話のようだ。

人はこの世を去ってから その人の価値がわかるといわれる。
通夜、火葬、葬式と、たくさんの人が父にあいに来てくれた。

見知らぬ方から お嬢さんですか? と話しかけられた。
父は頑固で怒ると怖かったが 面倒見がよく部下思いの上司であったと語ってくれた。
私が今こうして働けているのもお父さんのおかげですと。

毎年お正月の我が家での飲み会に集まるお顔ぶれもあった。
小さいころ 私の目には、毎年集まるお酒好きのおじちゃん、おばちゃんたちとしかうつらなかったが、
お酒ももちろん好きだったが あの方たちは父が大好きで集まっていたのだ。

父は そのころ県では指折大きな病院といわれていた、県立中央病院の新築を取り仕切った事務局長だった。
そことは知ってはいたが、どれだけの苦労があり どれだけすごい功績を残したか、弔辞で改めて知り、身震いした。
多くの患者さんの命を守りながら、医療チームと連携をとり、県で最大の病院を誕生させたのだという。 多くのトラブルを抱えながらも 父の指揮は立派だったと 弔事の内容から 理解する事が出来た。

そのころの父を私は見ていない。もう上京していたのかもしれないし 父が朝早くから夜遅くまで 県の医療のために働いていたとは 知らなかった。

私は父のことをわかっているようで わかっていなかったんだなあ としみじみ思った。

その新しく出来た 県立中央病院で 私は三人の男の子を出産することができた。

父は移転新築後、病院の運営が軌道に乗り始めたころ 定年前だったにもかかわらず 事務局長を降りた。
父らしい選択だったと思う。
後輩の事を いつも気遣っていた。
惜しまれるときが やめ時だと。

最後の仕事は、市のはずれにある松園の第二病院の事務局長。
相変わらずの性格で 派手ではないが 頼りになる事務局長だったらしい

そして父が最期に御世話になったのも その松園第二病院。
中央病院時代、片腕だった医師が ご縁あって主治医になってくれた。
知った看護士さんたちに囲まれ 冗談を言いながら 病院での数週間を過ごした。

父は幸せだったと思う。
自分がつくりあげていった医療環境、人脈、信頼関係。
その中で 静かに眠りにつくことが出来たのだ。

父がなくなってからの方が 父の存在が私の中でどんどん大きくなる。
父の頑固だが信念を貫き通す性格を受け継ごうと決めた。
当たり前に 明るく頑張っている事が 父への供養だと思った。
だから この2ヶ月あまり泣かなかった。
でもでも やっぱりふと さびしくなる。
親孝行、もうちょっとしたかったなあ。
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