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2012-08-09(Thu)

夕涼み会 義母と

「病院の夕涼み会があるから一緒に行かない?」と義姉が誘ってくれた。
義母がずっとおせわになって病院は明るくきれいで
設備が整っている、医療と介護のバランスのとれた病院だ。。
スタッフの方々も明るくしっかりしていて好感がもてる。 運動会やら お花見やら 季節ごとの行事を企画しては 入院患者やその家族を楽しませてくれるが、車椅子の患者さんが多い中での行事は 大変なご苦労があることだろう。

私も義姉も夕涼み会は 初めてだったが それほど期待していなかったし、正直言うと半分義務感でいった感じだった。

病院に着くと、 広い駐車場にテントがいくつも張られ 人でごった返していた。
車椅子の患者さんが多いせいもあって 隙間のないほどにぎわっていた。

「お母さん、ヨーヨー釣りやる?」
「うん、やる」
ぎこちない動作でピンクのヨーヨーを狙って釣ろうとする。
ワッカとは見当違いのところをつついているので、スタッフの女性が気を効かして、義母の持っている針がねにワッカを引っ掛けてくれた。
「ヤッタ-!!、お母さん釣れたよ!!
母は大事そうにヨーヨーを両手で包むようにして、時折口に近づけてなめたりしていた。」
「お母さん、それは美味しくないよ」と義姉がにが笑いながらたしなめていた。

「お母さん、焼きそば食べようか?」
「うん、食べる」
屋台の焼きそばにしては味がよく、スタッフの方々が一生懸命つくった思いが伝わってくるようだった。
「太麺で美味しいね」といいながら3人は一パックずつペロッとと平らげた。
義母の胸元にはたくさん麺がこぼれていたが、それだけ義母が夢中で食べていたのだと思うと微笑ましかった。

「お母さん、綿菓子食べる?」
「うん、食べる」
母は、顔に大きなまん丸の綿菓子をくつけて、大きな口をあけてトライしていた。こどもみたいでかわいらしかった。
うまく食べれないとわかったのか、しばらくすると、指でむしりながらおいしそうに食べはじめた。

舞台の横では簡単な打ち上げ花火が上がっていた。
「私、今年初めての花火大会だわ」と言って義姉は笑った。

そしてメインイベントの川越太鼓が始まった。
太鼓の音はなんとも言えず、いい。
おなかにずしんずしんとくる。
10人くらいの小学生の子ども達が、一糸乱れずポーズをとって太鼓をたたく。
どれだけ練習したのか、本当に見事な太鼓だった。
「頑張って!!」と母は手をたたきながら うれしそうにしていた。

義母も義姉も私も 夜風にふかれ、人のざわめきと迫力ある太鼓のハーモニーのなかで ぼんやりしていた。
現実を忘れ ただただ心地がよかった。

病室に戻ると 「林さん、いい顔してるね」と看護士さんに声をかけられた。
義母は、これまでに見たこともないような穏やかな笑顔でいた。
今日は参加して本当によかったと思った。
私も義姉も、義母の心が癒されているのを見てうれしかった。

義母は昔、看護士だった。
勉強して養護教諭の道に入り 定年後は老人施設のボランティアの窓口の仕事をしていた。
そのころ 介護の現場がいかに大変だという事、それなのに収入が保証されないため優秀な人がどんどんやめていってしまうことを よく義姉に漏らしていたらしいう。
皮肉にも 今その同じような現場の中にいる。しかも介護される側、患者として、

仕事とはいえ たくさんの車椅子の患者さん安全を確保し 大いに楽しませてくれたスタッフの方々に感謝ししたい。
「あの病院ってさ、女の子はみんな可愛いし、男の子はイケメンが多いよね」
「みんな 明るくて 感じいいよね」
そんな会話をしながら 私と義姉は病院を後にした。





2012-07-31(Tue)

専業主夫

主人が脱サラしたのが去年の6月。
13ヶ月が経過した。

最初の半年、好きな事をしていた主人。
朝起きて さあ今日は何をしようか?といった感じ。
テレビをみたり庭をいじったり。
食料品の買い物が大好きで 近くのスーパーの常連客となった。
趣味の釣りもしばしば行った。
誘われれば飲みにも行った。
ずっとサラリーマンをやっていたのだし こんな自由な時間は今だけなのだと 私も大目に見ることが出来た。

ストレスがない生活がいかに体にいいのか、主人を見ているとよくわかる。
顔色がよく いきいきしていた。何故か贅肉がとれ、少々スリムになった。

主人はもともと料理が好きで 脱サラ後の飲食店開店を計画していたので、家でも料理の研究をしていた。
主人愛用のキッチン用品や調味料がどんどん増えていった。
キッチンは私のテリトリーではなくなってしまった。


一家に主婦は二人要らないというが 特に 料理に関しては主人一人いれば十分だった。
前の晩から 二男の弁当のおかずを仕込み 朝 私が起きるころには 弁当が出来あがっていた。
私よりも仕事が丁寧で 味も見た目もGOOD。
あとかたづけも 雑な私とは比べ物にならないくらい 完璧だった。
冷凍庫は鶏のガラやら牛のすね肉のかたまりなど食材ででいっぱいになった。

朝 行ってきます!!と私が出かける
時には 私用のおにぎりやお弁当も持たせてくれた。
夕方になり ただいま!! と私が帰ると夕飯のシチューかなんか夕飯が出来ている。
夫婦逆転の生活だった。

こんな様子を友達やお客様に話すと、うらやましがられた。
確かに私は 買い物や料理をしなくても おいしいものが食べられていたから。


一見、自由気ままな夫と理解がありそうな妻。
しかし
後半半年は バトルを繰り返しながら過ぎた。
この貴重な13ヶ月。
長すぎるほどの充電期間だった。
明日 やっと決まった店舗の引渡し。
これから工事がはいり 念願の酒処、料理屋の開店に向けて進む予定。
お店の名は「三太郎」 三人の息子にちなんだ名前だ。

今日で専業主夫は終わり。
むかつく事も多かったけれど、楽をさせていただきました。
私は、明日から 倍返しで 家のことを頑張らなければ。

「三太郎」 成功を祈る!!
2012-07-09(Mon)

花火

「今日花火やるから!8時に集合なんだ」と中三の三男が言った。
夏恒例の花火。毎年 仲のいい友達と集まっては花火を企画する。
自転車で近くのスパーに花火を買に行き、夕方また足りないといけないからと違う種類の花火を買いに行っていた。
「何人来るの?」と聞くと、「俺入れて4人かな?でもドタキャンあるかも」とメンバーが集まるかどうかを気にしていた。

自分が小さいいころも 花火といったら一大イベントだった。
夏休みの大、大、大の楽しみだった。
早めに夕飯を食べて 浴衣に着替える。
ちょうど従姉妹が泊まりに来てたりしたら、ますますの盛り上がり。
花火がどんどんなくなるのを惜しみながら、一本一本楽しむ。
そして、閉めは線香花火。
ぞうりを履いている足の上にに落とさぬよう注意し、花火さん誰よりも長く頑張れと、願いを込めながら見守る。

大人になった今でも、バチバチいいながら光るあの花火の美しさには感動する。

ここ数年は家族だけよりも、友達を呼んで花火をする機会が多くなった。
友達は男のこばかりだから 打ち上げや、音が大きいい花火や、派手な演出の花火を好む。
そうすると、どこでやろうか場所を選ぶのに困ってしまう。
家の前にしても公園にしてもご近所に迷惑をかけてはいけないし、飛んでいった火の粉で山火事など起こしても大変である。
そこでやっていいのか確認しないまま、近くの川原でやる事が多くなった。

8時になって、驚いた事に、4人の予定が口コミで12人の友達が集合していた。
川原は 梅雨の合間で増水していて降りる事ができす、仕方なく我が家の前の道路で12人花火大会が始まった。

楽しそうな歓声と笑い声が響く。
外を気にしながら私は家事をしていが あまりの大騒ぎが気になって仕方がなかった。
シュー、バチバチ という音ともに「やばい!やばい! おい!こっち向けるなよ!!」という声や
花火を持って走りまわっているようなはしゃぐ声が聞こえた。

お水を入れたバケツを持って様子を見に行くと みな、思い思いの楽しみ方で花火を満喫していた。
中三ともなるとみな体が大きく、20人くらいいるように見える。なんの集団なんだ?と思うような異様な集団だった。
「あまり大きな声を出しちゃだめだよ」「そんな道の真ん中じゃなくてもう少しこっち来なさい」と注意しても効き目のあるのは5秒。


「どうしよう、ご近所に迷惑だよね」と私がやきもきしていると、
大學1年の長男が、「お母さん、口出さないほうがいいよ。あれってね、すっごく楽しいんだよ、俺には気持ちがよくわかるよ」、と私をなだめた。
そりゃそうだよなあと思いながらも、保護者としては冷や汗ものだった。
まあ仕方がない 受験前の思い出作りに加担するか。
なにかあったら ご近所にお詫びきまわる覚悟で 黙認することにし イベントが終わるのを待った。

花火のあとは鬼ごっこ。
これまた楽しそうだったが なかなか鬼に誰も捕まらず エンドレスになりそうだった。
気がつくと9時半を過ぎていたので もう遅いから終わりにしなさいと声をかけた。
12人は まもなく集合し、すんなり帰っていった。
最後まで響き渡る大きな声で「じゃあな!!」「明日ね!!」と片手を挙げながら、自転車をこいでいった。
なんだかんだ言っても、みんなかわいい子どもたちだ。

ずらっと並んだ自転車がきれいになくなり、道ががらんとした。その遊んだあとにはごみ一つ
なく、花火の残骸がバケツに納められていた。
思ったよりしっかりしているなと感心した。
やっと夜の静けさが戻った。


子ども達は花火が好きというよりは あのお祭り騒ぎが好きなのでは?そりゃそうだ、
しかし 花火というよりは 『爆弾』を抱えていたような2時間だった。
この夏あと何回花火をするのかな?
中学最後の花火だ、よしとするか。


  





2012-05-14(Mon)

吐く、叶う

昨日は、朝からいらいらしていた。
その日は練習試合だというのに 二男がなかなかおきてこない。
無理やり起こしたら けんかになり
「死ね。消えろ。いらない。」などの暴言を吐かれ、私はますます腹を立てた。
でも反撃しても逆効果なので いかにそのことばがひどいことばで、いかにお母さんは傷ついたのかを訴えた。
本音ではないとわかっていても心にぐさっとくる。
しかも今日は母の日なのにと 情けなくなった。
私のことばで彼は反省したのだろうか?
悪態をついたまま 練習試合に出かけた。 
これで私が交通事故にでもあって 急死したら、彼はその暴言を一生後悔するだろうに。ふとそううなことまで想像してみた。

暴言を吐く 今の二男の商況を考えてみた。
他のおうちでもそうだと聞いたが、あまりにも言葉が汚すぎる。
生い立ちまで振り返ってみた。

何が原因で 何がいけないのか?
育て方が悪かったのか?
彼が最近機嫌が悪く、何をストレスに感じているかは想像できた。
 でも 絶対あんなことは言っていけない!
と、あれこれ考えていたらぐうたり疲れてしまった。
練習試合の応援の最中だというのに、突然睡魔が襲ってきた。

練習試合は進み、どんどん点を取られていく。
サードで泥まみれになっている二男は いつもよりよく声を出している。
頑張っている姿を見て、朝の出来事を帳消しにしてやろうと思ったが、そうもいかず、もやもやは消えなかった。

帰りに 行き付けの喫茶店に立ち寄った。
そこのオーナーさんは私より年下だが、女で一つで喫茶店を切り盛りし、二男と同じ年の女の子がいる。

「今日ね いいこと聞いたんだ、誰かに言いたくって!」
と彼女はうれしそうに話してくれた
その内容はこうである。
人間は 毎日 ことばを「吐く」それはプラスとマイナスのことがある、ちょうど口へんの右側の士が+(プラス)とー(マイナス)
-(マイナス)をとると 『叶う』という字になる。
だから マイナスのことばを言わなければ いいことが 叶うのだという。
確かに毎日+も-も吐いているなあ。
振り返ると私のその日一日に吐いたことばは 怒りの言葉だったり、母の日なのに・・・というぐちだったり、-の横線の連続だった。

いいことを聞いたと思った。
二男をはじめ3人の息子に教えてやろうと思った。
二男の暴言対策になるかわからないが、何か自分の願いや目標やをかなえたいと思ったとき、マイナスの言葉はいらないと思う。
マイナスの言葉が まわりにも不快感を与え、いい人やチャンスが逃げていくようなきがする。

家に帰ると 二男はいつもどおりだった。
長男が 母の日だからと かわいいカーネーションの飾りのついたケーキをプレゼントしてくれた。
ちょっと救われた。
今はこんなにきがきく長男でも、2,3年前の反抗期は私に暴言を吐いていたなあ。
もう忘れてしまったが、そのころも長男のことでいろいろ悩んでいたかもしれない。

心配しすぎる必要はないのかなあ?
3人の息子にとって、私が、みんなの心のなかにたまった泥みたいなものを受け止める役?

ケーキを写メでとってアイフォンの待ち受けにした。うれしくなった。
一人でこっそりケーキとコーヒーををいただき ワインを飲んで 家の誰よりも早く就寝した。
とにかく今日はぐっすり寝ようと思った。





2012-03-10(Sat)

おじいちゃんとの約束

父が生前気がかりだった事は 私の長男と甥っ子(兄の長男)、2人の高校三年の孫たちの大学受験のことだった。
「おじいちゃん、合格したら二人で報告に来るね」 と2人は父に約束していた。
約束を果たす前に父は逝ってしまったが、甥っ子は棺の前で「おじいちゃん、俺、頑張るから。。。」と泣いていた。長男も同じ思いだったに違いない。



さかのぼると、長男は とても楽しい高校生活をすごしていた。好きな野球に打ち込み 友達にめぐまれ高校生活をエンジョイしていた。
しかし勉強はかなりサボっていた。
クラス35人中30何番?といった事がしばしばあった。
3年半ばになり、周りが 推薦や指定校で決まっていく中、ほぼ0に近い状態からはじめた受験勉強。半年が勝負だった。

夏休みから私の出勤とともに塾に行き、夜遅くまで勉強する生活が続いた。
学校のある日は そのまま塾に直行しやはり遅くまで頑張っていた。
食事も不規則になり プラス、ストレスからなのか 顔や背中にブツブツが出来ていた。

心配ではあったが、これは試練であり大事な過程なのだと思った。
ここで頑張ることは 社会に出てからきっと役に立つと。
幸いな事に 努力が点数にゆっくりだが表れていった。

父がなくなった時期と試験がぶつからなかった事は 父の気遣いだったように思う。
四十九日を追え いよいよ受験本番になった。

センター試験で押さえの大學はあったものの、息子は6連敗。不合格しまくった。
「これじゃあ、おじいちゃんに報告にいけない。。。」と沈み、自信をなくしていた。
最後のチャンスの後期受験の勉強もせず、半ばあきらめていた。

でも私はあきらめなかった。
いろんな大學の入試情を調べなおし今からチャレンジできる大學がないか探した。
一方で息子を叱咤激励し続けた。成功者の名言集を見せたりもした。
気持ちがわからないではないが 最後までベスト尽くさなかったら それこそ後悔すると思った。
一体 私は何をやってるんだろう? と可笑しくもなったが。過保護で馬鹿な親だなあと(笑)

そんな状態だったのに、結果的に、長男は志望校に合格した。奇跡としか思えなかった。

「合格したのはお母さんのおかげだよね」と冗談っぽくいうと、
「あざーす(ありがとうございます)」と長男は笑っていた。

数日後 「俺こんなに勉強してたんだぞ」と言って 長男が弟にノートを見せていた。
書いて書いて覚えたというそのノートは 真っ黒に塗りつぶされていた。
そのノートを見たとき、ふがいない一面はあったが 今回の合格は長男が自分の手でかちとったのだなあ と認めざるを得なかった。

昨日、国立の発表があり、甥っ子が志望校に合格したと知らされた。
これで 二人そろって おじいちゃんに報告しにいける。

父の喜んでいる顔が浮かんできた。
どんぐり目玉の目じりを下げて、歯を見せて 方言まじりによかったよかったと言って喜んでいる
父の応援があったから 2人はここまでこれたような気がする。
プロフィール

リサイクルルームフォレスト

Author:リサイクルルームフォレスト
リサイクルルーム フォレスト オーナーの林です。リサイクルショップを経営しています。明るく清潔な店内、お洒落で高品質な品揃えがモットーです。

HPから通販も行っています。是非ご覧下さい。

 http://www.roomforest.com/

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