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2013-07-22(Mon)

高3の夏

今高3の二男は、小学校3年のとき野球を始めた。
特に野球に興味があった訳ではない。
一足先に少年野球を始めた兄の付き添いで出入りするうちに、なんとなく入部した。
それなりに上手になり活躍もしていた。

中学生になり またなんとなく野球部に入部した。他にこれといってやりたいこともなかったらしい。
普通に練習に参加し、まあまあ活躍していた。
少年野球でセカンドだったのが、中学ではサードを任されていた。

仲間がみんな仲がよかったから、まあまあがんばり楽しい野球をしている感じだった。

私は野球の応援に行くのが好きだった。
子どもががんばっているのを見ると パワーをもらえる。
三人の息子が野球をやっていたから 3人にできる限りのサポートをした。
車だし 弁当つくり、ユニフォーム洗い、試合では声を張り上げて応援した。

高校生になり、二男はまた野球部に入部した。
顧問の先生の誘いを断りきれず体験練習に行ったところ、気のいい先輩たちにかわいがられ、そのまま入部した形になった。

チームは決して強くはなかった。
人数も少なく 練習もゆるかった。先輩たちの数人が、タバコをすっているのを見つかり停学処分になっていた。
まるでTVではやった ”ルーキーズ”のようなチームだった。
それでも ふらふらしているより何か運動をしていたほうがいい 位の気持ちで私はみていた。

そんな二男の周辺が高2の秋から変化した。
新監督が就任し、部長が変わり、新体制になった。練習メニューがガラッと変わり、超厳しくなった。
厳しい反面、指導者の方々は 手取り足取り 丁寧に指導してくれた。
そのおかげで 練習試合でしばしば勝つことができた。

二男はまさかのキャッチャーを任せられた。怒鳴られながら 練習に練習を重ねた。
生まれてはじめての しかも要の司令塔。
取れなかったボールが だんだん取れるようになり、10回怒鳴っていた部長先生も1回ほめてくれた。
なかなか声が出なかったのが 各ポジションに声をかけ 盛り上げて行った。

二男が徐々に変わって行くのがわかった。
今まで何となくやっていた野球だったが、野球がしたくて仕方がない というエネルギーが満ち溢れていた。
期待されたことの喜び、 辛い練習に耐えた自信、 いろんな要素が集まり、キャッチャーらしくなって行った。

夏の最後の大会は 七年ぶりに初戦を突破を目標にしていた。
勝利が決まった瞬間 バッテリーが抱き合い うれし涙を流しているのを見て 親たちももらい泣きした。
選手のがんばりと 指導者の方々の力量と 保護者のサポートが ついに結果となった。

次の試合は強豪チーム相手にコールド負けだった。
彼の10年間の野球生活が終わった。

試合後彼が グシャグシャになってないているのを見て 私は意外だった。
今まで負けても 感情を出したことがない彼があんなに泣くなんて、負けて悔しかったのか、これで引退なのかという寂しさなのか。

すると 彼が涙を拭きながら 真っ黒の顔で私のところにやってきて、「今までありがとうございました」
といって頭を下げた。涙声だったのでよくわからなかったが おそらくそんな内容だったと思う。
私は感動して抱きしめたかったが あまりにもでかくなっていて届かず 肩をたたいてやるのがやっとだった。
「何、泣いてんだよ!! がんばったね!! 」

調子に乗って 腕を組んで記念写真を撮った。
二男は 泣きべそ、私は満面の笑みだった。
二人で写真を撮るなんて何年ぶりだろう?
高3の夏が終わる いい記念品ができた。


2013-05-14(Tue)

キューブ

長年愛用していた車 キューブとお別れすることになった。
お店を始めてまもなく 初めて自分の稼ぎで購入した記念の車だった。

車での移動が多い私は、かなりキューブにお世話になった。
車内で寝食することも頻繁で、泥だらけの息子たちを毎日運んだり、高速でいろんな所に連れて行ってもらった。
父がなくなった直後は キューブの中で一人でよく泣いた。
あちこちぶつけて修理したり、バンパーを引きずりながら走ってみんなに驚かれたこともあった。

このキューブはどんなおんぼろになっても壊れるまで乗り続けようと決めていた。
でもついにお別れすることになった。私がそうしたのだが。

ある日の仕事の帰り道、いつもより疲労を感じ 私は不覚にも寝てしまった。
目が覚めたのはガードレールにぶつかる瞬間で、直後に大きな白い風船みたいなものが私の体の前にあった。
エアバックというものを初めて経験してしまった。

キューブは無残にもグシャグシャだった。
あの車を見たら ドライバーは即死か重症と誰もが思っただろう。
私が無傷で生きていたのは奇跡だったと思う。
天国にいる父が守ってくれたのだと思った。
いや キューブが私の身代わりになってくれたのかも。

近所の方や通りすがりの方に大変お世話になった。
迎えに来てくれた長男が頼もしく 救われた。
情けない出来事だったが やはりいろんな意味がある。

普段無理をしすぎる自分への警告。
生かされたことに感謝した。

気を取り直し 懲りずにつぎの車を探している。
やっぱりキューブかな。








2012-12-29(Sat)

春夏秋冬

今年を振り返る

父が他界して悲しんでいるひまもなく、長男の大学受験本番に入る。
おじいちゃんにいい報告ができるようがんばって迎えた春。
卒業入学とあわただしい春だった。

と同時に充電期間を終え、主人が事業の準備にとりかかる。
居酒屋『三太郎』が誕生する・
家族は不安を抱えながらも応援するのみ。
いろんな葛藤の中、主人に振り回された気がする、夏。
二男の高校野球の手伝いや応援に積極的に出かけ、大声をだしてストレスを解消した。

いよいよ秋。
三太郎がOPENした。
手伝いに行きたい気持ちはあったが、自分自身の忙しい生活をこなすのが精一杯だった。
応援してくれた友人知人ののおかげで 三太郎は順調に成長していく。
私は 自分の息子たち三太郎のために動き回った。

秋の三大イベントは 三太郎OPEN、私のマカオ旅行、そしてフォレストの10周年感謝フェアだった。
10周年を迎え、私はいいようのない緊張感を感じた。
10年の感謝の気持ちを、一人でも多くのお客様と友人に伝えたいと思った。
20年を目標にまたスタート地点にたった。

9月から11月の3ヶ月は、たくさんの感動がぎゅっと詰まった3ヶ月だった。

そして寒い冬となった。
三男の高校受験の準備がはじまった。
12月。父の一周忌を終えた。
そして同じく12月 結婚記念日を無事迎えることができた。

思えば2年前の結婚記念日の食事の席で 会社を辞めてもいいかと主人に聞かれた。
そして今年の結婚記念日の席では 主人と三太郎の話題で盛り上がる。


さっき友人のご主人がひょっこりお店に現れた。
いつも迷惑ばかりかけているからと、奥様に洋服をプレゼントしたいと選びにいらしたのだ。
素敵なご夫婦。

一年の終わりって 大事な人に感謝を伝えたくなるのかもしれない。

1年間本当にありがとうございました。





2012-08-09(Thu)

夕涼み会 義母と

「病院の夕涼み会があるから一緒に行かない?」と義姉が誘ってくれた。
義母がずっとおせわになって病院は明るくきれいで
設備が整っている、医療と介護のバランスのとれた病院だ。。
スタッフの方々も明るくしっかりしていて好感がもてる。 運動会やら お花見やら 季節ごとの行事を企画しては 入院患者やその家族を楽しませてくれるが、車椅子の患者さんが多い中での行事は 大変なご苦労があることだろう。

私も義姉も夕涼み会は 初めてだったが それほど期待していなかったし、正直言うと半分義務感でいった感じだった。

病院に着くと、 広い駐車場にテントがいくつも張られ 人でごった返していた。
車椅子の患者さんが多いせいもあって 隙間のないほどにぎわっていた。

「お母さん、ヨーヨー釣りやる?」
「うん、やる」
ぎこちない動作でピンクのヨーヨーを狙って釣ろうとする。
ワッカとは見当違いのところをつついているので、スタッフの女性が気を効かして、義母の持っている針がねにワッカを引っ掛けてくれた。
「ヤッタ-!!、お母さん釣れたよ!!
母は大事そうにヨーヨーを両手で包むようにして、時折口に近づけてなめたりしていた。」
「お母さん、それは美味しくないよ」と義姉がにが笑いながらたしなめていた。

「お母さん、焼きそば食べようか?」
「うん、食べる」
屋台の焼きそばにしては味がよく、スタッフの方々が一生懸命つくった思いが伝わってくるようだった。
「太麺で美味しいね」といいながら3人は一パックずつペロッとと平らげた。
義母の胸元にはたくさん麺がこぼれていたが、それだけ義母が夢中で食べていたのだと思うと微笑ましかった。

「お母さん、綿菓子食べる?」
「うん、食べる」
母は、顔に大きなまん丸の綿菓子をくつけて、大きな口をあけてトライしていた。こどもみたいでかわいらしかった。
うまく食べれないとわかったのか、しばらくすると、指でむしりながらおいしそうに食べはじめた。

舞台の横では簡単な打ち上げ花火が上がっていた。
「私、今年初めての花火大会だわ」と言って義姉は笑った。

そしてメインイベントの川越太鼓が始まった。
太鼓の音はなんとも言えず、いい。
おなかにずしんずしんとくる。
10人くらいの小学生の子ども達が、一糸乱れずポーズをとって太鼓をたたく。
どれだけ練習したのか、本当に見事な太鼓だった。
「頑張って!!」と母は手をたたきながら うれしそうにしていた。

義母も義姉も私も 夜風にふかれ、人のざわめきと迫力ある太鼓のハーモニーのなかで ぼんやりしていた。
現実を忘れ ただただ心地がよかった。

病室に戻ると 「林さん、いい顔してるね」と看護士さんに声をかけられた。
義母は、これまでに見たこともないような穏やかな笑顔でいた。
今日は参加して本当によかったと思った。
私も義姉も、義母の心が癒されているのを見てうれしかった。

義母は昔、看護士だった。
勉強して養護教諭の道に入り 定年後は老人施設のボランティアの窓口の仕事をしていた。
そのころ 介護の現場がいかに大変だという事、それなのに収入が保証されないため優秀な人がどんどんやめていってしまうことを よく義姉に漏らしていたらしいう。
皮肉にも 今その同じような現場の中にいる。しかも介護される側、患者として、

仕事とはいえ たくさんの車椅子の患者さん安全を確保し 大いに楽しませてくれたスタッフの方々に感謝ししたい。
「あの病院ってさ、女の子はみんな可愛いし、男の子はイケメンが多いよね」
「みんな 明るくて 感じいいよね」
そんな会話をしながら 私と義姉は病院を後にした。





2012-07-31(Tue)

専業主夫

主人が脱サラしたのが去年の6月。
13ヶ月が経過した。

最初の半年、好きな事をしていた主人。
朝起きて さあ今日は何をしようか?といった感じ。
テレビをみたり庭をいじったり。
食料品の買い物が大好きで 近くのスーパーの常連客となった。
趣味の釣りもしばしば行った。
誘われれば飲みにも行った。
ずっとサラリーマンをやっていたのだし こんな自由な時間は今だけなのだと 私も大目に見ることが出来た。

ストレスがない生活がいかに体にいいのか、主人を見ているとよくわかる。
顔色がよく いきいきしていた。何故か贅肉がとれ、少々スリムになった。

主人はもともと料理が好きで 脱サラ後の飲食店開店を計画していたので、家でも料理の研究をしていた。
主人愛用のキッチン用品や調味料がどんどん増えていった。
キッチンは私のテリトリーではなくなってしまった。


一家に主婦は二人要らないというが 特に 料理に関しては主人一人いれば十分だった。
前の晩から 二男の弁当のおかずを仕込み 朝 私が起きるころには 弁当が出来あがっていた。
私よりも仕事が丁寧で 味も見た目もGOOD。
あとかたづけも 雑な私とは比べ物にならないくらい 完璧だった。
冷凍庫は鶏のガラやら牛のすね肉のかたまりなど食材ででいっぱいになった。

朝 行ってきます!!と私が出かける
時には 私用のおにぎりやお弁当も持たせてくれた。
夕方になり ただいま!! と私が帰ると夕飯のシチューかなんか夕飯が出来ている。
夫婦逆転の生活だった。

こんな様子を友達やお客様に話すと、うらやましがられた。
確かに私は 買い物や料理をしなくても おいしいものが食べられていたから。


一見、自由気ままな夫と理解がありそうな妻。
しかし
後半半年は バトルを繰り返しながら過ぎた。
この貴重な13ヶ月。
長すぎるほどの充電期間だった。
明日 やっと決まった店舗の引渡し。
これから工事がはいり 念願の酒処、料理屋の開店に向けて進む予定。
お店の名は「三太郎」 三人の息子にちなんだ名前だ。

今日で専業主夫は終わり。
むかつく事も多かったけれど、楽をさせていただきました。
私は、明日から 倍返しで 家のことを頑張らなければ。

「三太郎」 成功を祈る!!
プロフィール

リサイクルルームフォレスト

Author:リサイクルルームフォレスト
リサイクルルーム フォレスト オーナーの林です。リサイクルショップを経営しています。明るく清潔な店内、お洒落で高品質な品揃えがモットーです。

HPから通販も行っています。是非ご覧下さい。

 http://www.roomforest.com/

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